箱根駅伝概論

箱根駅伝を中心に、陸上競技に関する私見を書き綴ります。なお、文中は敬称略とさせていただきます。

3限目:「隔絶」の日本選手権10000m

スタンドが露出しきった競技場。

先頭を疾走するオープン参加の外国人選手。

世界陸上の参加標準記録からは遠く離れた優勝タイム。

 

これらは、昨日行われたばかりの日本選手権男子10000mのレース風景である。

 

あまりに虚無感に溢れた様子は、このブログを文字通り三日坊主で放り出していた私を奮い立たせるほどのショックと危機感を与えた。

 

なぜこんなことになってしまったのか。

この大会には、もっと良い大会となる道があったのではないか。

言いようのない歯痒さが込み上げるが、その答えを探すためにも、まずはこのレースの背景を整理したいと思う。

 

そもそも、今回のレースは来月に福岡で行われる予定の日本選手権とは分離開催となり、同日昼に行われた「セイコーゴールデングランプリ大阪」(以下セイコーGGP)終了後に行われた。

同大会は、同日に10秒01を記録した桐生祥秀ら男子100mの有力選手が多数出場し、TBS系列で全国にテレビ中継されるなど、活況を呈していた。

最終種目の男子4×100mリレーが日本チームの優勝に終わり、会場のヤンマースタジアム長居が祝福モードに包まれていたのは15時30分ごろ。

その4時間後、YouTubeライブ配信に映し出されたのは、同じ会場とは思えないスタジアムの姿だった。

観客は、最前列近辺に数える程。割れんばかりだった歓声は、大音量のBGMに置き換わっていた。

驚くべき事実ではあるが、一般A席が3500円であったセイコーGGPに対し、このレースは入場無料なのだ。(※1)

繰り返すが、今年の日本における10000m競技の頂点を決めるレースが、観戦無料にも関わらず、スタンドはガラガラだったのだ。

 

それでも、レース内容が目覚ましいものであれば、まだ救いがあった。

男子の前に行われた女子のレースにおいては、鈴木亜由子新谷仁美が積極的に先頭を引っ張り、最後に鮮やかなスパートを決めた鍋島莉奈が今年のドーハ世界陸上の参加標準記録(31分50秒00)を切る、31分44秒02で優勝を果たした。

個人的には、内容も白熱し、好タイムも出た良いレースだったと思う。

 

だが、男子のレースにおいては、その余韻すら冷めてしまった。

オープン参加の外国人選手が4名参加し、一定のペースで先頭を代わる代わる務める。

その後ろについていく日本人選手は次々に脱落し、最後に残っていた田村和希(住友電工)もついに7000m付近で外国人選手に振り落とされた。

最終的に、外国人選手3名が先着した後、田村が優勝者としてゴール。

優勝タイムは、世界陸上参加標準記録(27分40秒00)から30秒以上遅れた28分13秒39だった。

スタート時点で参加標準記録を破っている選手がいないこと、外国人選手が4名もオープン参加したこと、当初参加標準記録を狙えるペースでレースが推移したことからも、このレースが参加標準記録を狙うためのレースとして組み立てられていることは明らかだった。

それはさながら、普段から行われている記録会のような様相であったが、結果は普段から見せつけられている、世界との差を再確認させられただけだった。

いや、「日本選手権」という看板を立てながら、先頭を走る外国人選手たちを映し続けたライブ配信は、いつもよりも残酷に、グロテスクに、その差を教えてくれたかもしれない。

 

もちろん、このレースに真剣に臨み、全力を出し尽くした選手を非難するつもりは毛頭ない。(優勝した田村は、喜びの感情すら表現できないほど疲弊しきり、ゴール後しばらく動けずにした。)

だが、今回のレースを見て、「日本のトラック長距離種目に未来がある」と思うなら、それは些か楽観的過ぎるのではないか。

このレースに「本連盟(※日本陸連)強化委員会が特に推薦する本連盟登録競技者」として出場を申請し、参加を拒否されたマラソン日本記録保持者の大迫傑(ナイキ・オレゴン・プロジェクト)が、先月Twitter上で陸連の私物化批判を行った時が、このレースが一番注目を浴びた時ではなかったか。

とにかく、日本選手権男子10000mはあまりにも悲哀に満ちていた。

 

 

ここまでこのレースを整理して思うことは、やるせなさと同時に、なぜこんなにもこのレースが注目を浴びていないのか、ということである。

10000mという競技は、多くの人々の心を掴んでいる「駅伝」というコンテンツと、多分にリンクしている。

今回の日本選手権の出場選手も、優勝した田村(青山学院大卒)を始め、2位の坂東悠汰(法政大→富士通)、4位の相澤晃(東洋大)など箱根駅伝やその他多くの駅伝で名を馳せた選手が集っている。

つまり、競技の内容や選手個人の知名度で言えば、全く集客できない競技とは言い難いのだ。

加えて、ランニングが国民的な趣味としての地位を確立し、注目が競技としてのトラックレースに向く素地は充分に整っている。

しかし、今回の日本選手権には全くと言っていいほどそれらが反映されていない。

おそらく、長距離選手としては有数の知名度を誇る大迫がなんやかんやで参加していたとしても、窮状を僅かに改善する程度だったのではないだろうか。

 

今回のレース、そしてトラックレースそのものが一部の例外を除いて注目を浴びていない根本的な原因。

それは「隔絶」という言葉に凝縮されていると私は考える。

すなわち、競技としてのトラックレースは、駅伝やランニングと近いところにあるように見えて、一般の注目度という意味では繋がっていないのである。

 

よく、箱根駅伝中継の関連番組では「箱根から世界へ」という標語がクローズアップされる。

だが、その「箱根」と「世界」の中間に存在するはずの「日本選手権」は取り立てて登場することはない。

そして、セイコーGGPのように、近年の陸上の大会中継では男子100mや4×100mリレーに主な焦点が当てられ、長距離種目にカメラが向けられることは少ない。

(唯一の長距離種目であった3000m障害は、テレビ中継の時間外に行われていた。)

箱根の「物語」は、トラックレースに突入する前に一度途切れているのだ。

また、そもそも今回の日本選手権10000mが分離開催され、セイコーGGPの後に開催されるという事実が充分に周知されていなかったように思う。

日本陸連がサイトやTwitter上などで広報を行ってはいたが、CMが流れていたセイコーGGPのように一般に広報が浸透していたとはとても言い難い。

加えて、駆け引きが存在しない、外国人選手について記録を目指すレース展開も、日本の頂点を決める戦いという趣旨とは奇妙なズレが生じており、観客の方を向いてはいなかった。

 

あらゆる面で世間から隔絶され、ガラ空きの競技場でひっそりと行われたレース。

今回のレースは「日本選手権10000m」そのものが、一般から果てしなく離れた位置にあることを、これ以上ないほどに浮き彫りにしたのである。

 

箱根駅伝が過去最高視聴率を記録し、MGCによってマラソン界も賑わいを見せている長距離界。

その中でトラック種目は置き去りにされている感が強い。

もし、駅伝やマラソンの注目度が下がった時、現在の実業団のシステムは規模を維持できるのか。また、代替としてのプロ化への移行が成り立つのか。もしかしたら、今回のレースを再現することすら難しくなるのではないか。

そんな危機感を覚えずにはいられない。

 

だからこそ、断絶された環境からトラック種目を外部へと接続する必要がある。

セイコーGGPからの4時間、観客を繋ぎとめておくことはできなかったのか。

箱根から世界を目指す選手たちを、アピールすることで観客を呼び込む方法はなかったのか。

そして何より、競技の醍醐味、選手の一挙一動をもっと伝えることはできなかったのか。

競技力の底上げは、一朝一夕に果たされるものではない。

だが、競技としての魅力の醸成は、今からでも始められるのではないか。

日本国内で、駅伝だけでなく長距離種目全体が盛り上がりを見せることを願って止まない。

 

 

脚注

※1-参考文献①

 

参考文献

①チケットぴあ,「セイコーゴールデングランプリ陸上2019大阪」(https://t.pia.jp/pia/ticketInformation.do?eventCd=1912024&rlsCd=001 ,2019年5月20日閲覧).

②日刊スポーツ,2019,「マラソン大迫傑「私物化するのは」猛烈な陸連批判」(https://www.nikkansports.com/m/sports/athletics/news/201904230000366_m.html?mode=all ,2019年5月21日閲覧).