箱根駅伝概論

箱根駅伝を中心に、陸上競技に関する私見を書き綴ります。なお、文中は敬称略とさせていただきます。

4限目:なぜ沿道に観客は集まるのか?〜箱根駅伝観戦者18万人の謎〜

1月2日、3日にかけて行われた第97回箱根駅伝は、駒澤大学の大逆転優勝で幕を閉じた。

2008年の第84回以来、13年ぶり7度目の総合優勝。10区アンカーの石川拓慎が、3分19秒先で首位を行く往路優勝校、創価大学区間賞の走りで捉え、抜き去った。

そのレースの劇的な展開もさることながら、今回の箱根駅伝は別の観点からも注目を浴びている。

それは、沿道に集まる観戦者の数である。

 

もはや世間にその名を知らない人間はいないのではないかと思われるほど存在を認知された新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で、今回の箱根駅伝は主催者の関東学生陸上競技連盟(以下、関東学連)から、沿道での観戦を自粛するよう要請が行われた。

(参考:関東学連公式HPの観戦自粛を要請する文書https://www.kgrr.org/event/2020/kgrr/97hakone/ouen%20negai.pdf

 

自粛要請の対象は、大学関係者、OB・OGの他選手の家族にまで及んでいる。また、実際に前の区間を走った選手たちですらゴール地点には集まらず、TV越しに応援する様子が中継に映し出されていた。

そこまで現地観戦自粛を徹底していたにも関わらず、TV画面にはどう見ても関係者ではないと推察される人間が、山のように観戦する様子がはっきりと確認できた。

その数、主催者発表で約18万人。(※1)

これでも前年から約85%減少したそうだが、傍目から見ても「密」と思われる場所が何ヶ所もあり、感染拡大防止を徹底できているとはお世辞にも言い切れなかった。

 

では、数多くの観戦者が集まった原因は自粛要請の不行き届きなのだろうか。

それは考えづらいだろう。

箱根駅伝の観戦自粛要請は、共催の読売新聞社、特別後援の日本テレビ放送網などの一大バックアップのもと、広範に渡って行われていた。

新聞の一面広告や電車の中吊り広告では「応援したいから、応援にいかない。」のキャッチコピーが踊り、テレビ中継でも「沿道での観戦はお控えください」というテロップが度々表示され、実況が沿道での観戦を控えるよう再三呼びかけを行っていた。加えて現地でもスタッフがボードを携帯し、応援自粛を要請している。(※2)

これらの呼びかけを全てかいくぐって観戦した人間はごくわずかであろう。

つまり、18万人のうちほとんどの人間が、応援自粛を要請されているにも関わらず、それを無視して観戦を行っていたのだ。

 

この行動は一般的に見れば理解し難いものだ。

選手の家族ですら沿道での応援ができないにも関わらず、何も縁もゆかりもない人間が、コロナウイルスの拡大リスクを知りながら現地で応援しているのだ。

「身勝手」、「恥を知れ」と感情論で罵倒するのは簡単だが、それだけでは何も解決しないだろう。おそらく彼らは彼らなりのロジックを基に沿道に来ているのであって、それが罵倒することで翻るものではないことが容易に想像できるからだ。

このまま沿道から観戦者の人波が消えず、コロナウイルスも沈静化しないままでは、次回の箱根駅伝はおろか、駅伝という競技そのものの開催すら危ぶまれる。

そこで、「ここまで自粛が呼びかけられてるにも関わらず沿道に向かうロジック」を考えてみたい。

 

まず、コロナウイルスの感染リスクに対する楽観視があるのは大前提だろう。

「マスクをしていれば」、「ほんの少しの間なら」、「そもそも大した病気ではない」。理由付けは様々だろうが、コロナウイルスに関するリスクを低く見積もっていなければ、あのような行動を取るはずはない。

その上で、主催者から自粛を求められているにも関わらずそれを無視する理由を考えなければならないが、この特定は難しい。

校則を破る学生のような単なる反発心、ということも考えられるが、それだけで18万人が集まるとは思えない。

 

そこで考えたいのが、箱根駅伝におけるTV観戦と現地観戦の違いだ。

TV観戦と現地観戦に違いがなければ、散々呼びかけられている通り、家で大人しくTVで箱根駅伝を見ていればよい。

18万人の彼らがそうしない理由は、たとえ自粛要請を無視することになっても、TV観戦では得難い何かが現地観戦にはあるということなのだ。

その「何か」の正体については、以下のような候補が挙げられる。

 

①家族や友人とのお正月の恒例行事になっている

②実際に競技をしている選手たちを見たい

③単純にテレビに映って目立ちたい

④応援で盛り上がりたい

 

一見するとこれらは関連性がないようにも思えるが、「他者性」の獲得(=他者とのつながりの誕生)という共通項で纏めることができる。

①については、その行動自体に共同体のつながりの強化を期待することができる。

②については、実際に走り抜けたりする選手の身体に、自分にはない他者としての特性を見出すことができる。

③については、TVの向こう側にいるであろう他者との偶発的(かつ一方的な)つながりを期待することができる。

④については、他者と応援することでその共同作業の中につながりを見出すことができる。

以上のように、他者性の希求こそが、箱根駅伝に現地観戦に訪れる人々の原動力となっていると考えられるのだ。

 

では、それを踏まえた上で、箱根駅伝は現地観戦に訪れる人々にどのようにアプローチすればよいのか。

簡潔に言ってしまえば、他者性を求めに来ているのだから、多方面から他者との接触機会を減らすことだろう。

ただ、①についてはその共同体を解体することが解決策であり、現実的ではないので、その他の動機に対するアプローチを考えたい。

 

②については、解決策は選手と観客を物理的に接触不能にすることだ。バリケードの設置や侵入規制の強化等が考えられる。だが、公道を借りて開催している以上、思い切った規制は難しいし、片道100km以上のコースが対象となるため人手もコストも足りない。

極論としては陸上競技場やサーキット場へ開催地を変更し、入場規制を行うことも考えられるが、そうなった場合、その大会は「東京箱根間往復大学駅伝競走」が正式名称である箱根駅伝ではなく、ただの代替大会となってしまうだろう。

 

③については単純で、解決策はTVの中継を止めることである。

たが、口で言うのは簡単だが、実際に考えるとそれは現実的ではない。前述の通り、箱根駅伝を中継している日本テレビ箱根駅伝の大会自体の特別後援として名を連ねている。メディア・イベントである箱根駅伝を開催する以上、TV中継は漏れなくセットでついてくる状態だ。

仮に中継を止めることができたとしても、それはそれで箱根駅伝の存亡に関わる事態になると予測できる。三が日の東海道を占拠するイベントは、国民的行事としてTV中継されなければ開催許可など下りないからだ。

事実、1986年の日本テレビ箱根駅伝中継開始前には、あと1、2年でコース変更か中止を警察に迫られており、テレビ中継の影響によりその話が立ち消えになったという経緯がある。(※3)

TV中継がなくなれば、その議論が再燃することは自明だろう。

 

残った④についてだが、解決策は応援に来た観客を追い返したり、応援をやめるよう呼びかけることだ。

解決策としては一番地味で、劇的な効果は望めないが、結局のところ現実的な策はこれしかないのである。もちろん、トラブルが起こる可能性だってあるし、お願いベースでは聞く耳を持たれない可能性もある。

だが、粘り強く呼びかけ、新たな観戦スタイルを構築していくことしか、18万人を減らしていく方策はない。TV観戦が難しければ、密を避ける場所で観戦するよう呼びかけても良いのではないか。

 

これまで長々と書き連ねてきたが、駅伝を公道で開催している以上、どう策を弄そうとも沿道に来る人間は来てしまうのだ。

ただ、先の見えないコロナ禍の中で、絶えず沿道での観戦者、感染リスクを減らす取り組みをしなければ、駅伝という競技の存続に関わる問題になりかねない。

その意識を少しでも多くの人間が持つことを祈るばかりである。

 

注釈

※1-参考文献②

※2-参考文献③

※3-参考文献④

 

参考文献

関東学生陸上競技連盟,2020,「応援に関するお願い」(https://www.kgrr.org/event/2020/kgrr/97hakone/ouen%20negai.pdf ,2021年1月4日閲覧).

毎日新聞,2021,「箱根駅伝、自粛呼びかけも18万人沿道観戦 ネットで批判「異常な多さ」」(https://mainichi.jp/articles/20210103/k00/00m/050/106000c ,2021年1月4日閲覧).

時事通信,2021,「正月の風物詩、雰囲気一変 「応援したいから、応援にいかない。」―箱根駅伝」(https://www.google.co.jp/amp/s/www.jiji.com/amp/article%3fk=2021010200197&g=spo ,2021 年1月4日閲覧.

④日刊スポーツ,2020,「「バカか」一蹴された中継が危機救う/箱根連載1」(https://t.co/Ex4kyo8bGH ,2021年1月4日閲覧).